247】新人選手

新入団生は現在18名。
今のところ若干少ないですが、野球に熱い子ばかりで楽しみです。
体験に足を運んでいただき、親子で判断し入団を決めて下さったことにお礼申し上げます。
まだ増えると思いますが、是非とも体験され実際をしっかり見てチーム選びをなされます事をおすすめします。
お待ちしております。
一緒に成長していきましょう。

246】既往は咎めず

北大阪ブロックを何とか勝ち進み、第5代表として関西大会本戦に出場しましたが、敢えなく1回戦敗退しました。
とても内容の悪い質の低い負け方です。
関西大会に優勝した去年の土井主将世代と比べると、全ての部門で大幅にレベルダウンです。
それは半年前から分かっている想定内で、それ相応の内容レベルで指導にあたっているのだが、残念ながらもっと根が深い感じがする…。
私にとっては初めての経験です。
平凡なフライ、ゴロ、送球に対して捕球のエラー、イレギュラーしてないショートバウンドを捕れない、全く不要なケースでのベースカバー、、。
これって野球技術とは違うんじゃないかとも思う。
この程度の事、小学4・5年生レベルでしょう。
それでもこちらは目線を下げて根気よく言うしかない。
そして反復練習してもらう。
でもね、中学3年生にこんな事言わなきゃならないようじゃ勝てないです。
その次、、マスクしてるんだから顎を引いてショートバウンドを体で止めよう、ミットはこうして右手はこうして体はこうして…、打てなくても良い、初球からバット振ろう、少々ボールでも構わないからストレートは全部振ろう、、。
残念ながら技術アドバイス、戦術以前の問題。
この低レベルの指示にせざるを得ない現状だが、それでも理解は出来てない。
この程度の事、小学6年生レベルでしょう。
この状態で、空気を読み、状況を考え、臨機応変に動く相手チームと戦っても勝負にならない。
打順とかポジションとか、試合に出してもらえるとかもらえないとか言ってる場合じゃない。
選手達の野球ノート見てると私も新たに気付いた事がある。  普通の事をやっててもダメだ、勝てない、と書いある。
何も感じないよりは、そして何も書かないよりはましだが、しかし、、おーい!  普通に中学生レベルの当たり前の事が出来てればある程度勝てるぞー!
普通の事は出来てるつもりなのかぁ…、やっばりみんな自己評価は高く甘いんだなぁ。
余談だが私も高校生と大学生の子を持つ親。  野球をやってる下の息子2人に対して評価は厳しいです。
従ってその影響もあって本人の自己評価も低く考えていると思う。
4年前は
2人ともシニアの選手、去年までは2人とも高校生。
親としても預けたからには私は何も言わない。
もし試合に出れないのなら本人に何らかの問題がある、もし途中で代えられたのなら流れやチーム事情もあるだろう、いずれにしても黙って指導者に任せるだけのことと私は理解している。
それが指導者に対する礼儀と大人の品格だと思っている。
早く気付いて取り組み直さないと先で惨めな事になるのは自分。
技術指導と平行して、くどいほどこの種の話はしてきたが、正直に言ってこのレベルの事をどう指導していったらいいのだろう?
きっと出来るようになるまでやるしか無いのだろうけれど、ちょっとやるせないなぁ。
3年生、今月新3年生になったばかりと思うなかれ!  早ければあと3ヶ月でシニアの野球終了です。
もう一度、取り組み方や考え方を見直してみたらどうだろう。

我々は前向きな練習にはいくらでも付き合います。

245】謹告

3月27日未明 我が母、田中 シヅ子 が他界いたしました。
享年85才。
関係者の皆様には御気遣いを賜りまして誠に有難うございました。
恐縮ですがこの場を借りて御礼申し上げます。

私義、一人っ子の母子家庭でした。
母には幼少より大変な苦労をかけたと思います。
私に医者になることを望んでいた母と、野球大好きガキ大将の私。
思い出は尽きませんが、中学3年生の時、柳井商、萩商、広島広陵、津和野、山口鴻城等々から野球のお誘いをいただいておりましたが、普段は勉強の事も野球の事も何も私に言わない母が、中くらいの学業成績に落ちている私に激怒、この時ばかりは、「高校で野球なんかさせない!」と丸1ヶ月間口を聞いてくれなかった。
そして3年1学期末テスト次第では…との条件を出され、生まれて初めて必死で勉強しました。
後にも先にも猛勉強したのはこの時だけだった。(苦笑)
ただ単に野球がやりたかっただけなんですが。
結果は主要5教科500満点中498点。
いきなりトップ。
今思えば私にとってもこれがいけなかった。
勉強なんてやれば簡単に出来ると勘違いしてしまった。
母から高校での野球の許可は出たが、私が選んだ高校は何と当時一番偏差値の低い山口鴻城高校。(今は違いますが)
幼なじみの親友、藤野と同じチームで野球をやりたかったから。
(藤野も勉強出来るのに何故かこの高校を選んだ。後の親友、池田や川野、立石達も引き寄せられるようにこの高校を選んだ、不思議な縁だった。)
ここで我が母、高校へは野球をやりに行くのではないと2度目の激怒。
また口を聞いてくれなくなった。
最後はいつも許してくれるんだけど強烈な思い出です。
大学4年生時、最後の秋季リーグ戦、最終戦となる対筑波大学戦、シーズン2本目のホームランを川崎球場で打ったのだが、なぜか山口県に居るはずの母が三塁側スタンドで観ていた。
えっ?  おふくろが打たせてくれたのか?  と何か不思議な気持ちになった事を今でも覚えている。
大学1年の時、野球でくじけそうになり、辞めて帰りたいと実家に電話をしたら、「お前の帰って来る所は無い、二度と電話をしてくるな!!」と電話をガチャンと切られた。
あの時は参った。(苦笑)
ネガティブになったり、愚痴を言うなんて事は只の一度も無い母だったなぁ。
いつも私に言っていた事は、「人の為になりなさい」そして「許してあげなさい」だった。
いつも明るく元気で前向きに頑張る、肝っ玉母さんでした。
最期も少し笑みを浮かべながら逝った。
おふくろ、ありがとう。

皆様、この場でこのような事を記載し申し訳ありません。
しかしながら今、私が野球に携われるのも母のおかげと思っております。
何卒お許し下さい。